ウズベキスタン観光情報 ~ウズベキスタン旅行記とエリアガイド~

ユーラシア大陸の中心『ウズベキスタン』の旅行記&エリアガイドです。
かつてシルクロードの要衝として栄えたウズベキスタンには、
古都サマルカンド、聖なるブハラ、博物館都市ヒヴァなど、今も多くのイスラム建築遺跡が存在します。
当サイトでは、日本ではまだあまり知られていないウズベキスタンを様々な角度から紹介します。

ウズベキスタン用語

ティムール ~ウズベキスタンの英雄~

ウズベキスタンのあちこちでティムールの名前が聞かれます

ウズベキスタンを旅行していると、ティムールの名前はあちこちで聞くことになります。
ここでは簡単にティムールについて紹介してみたいと思います。

ティムール(チムール、テムル、Temur)は中央アジアのモンゴル=テュルク系軍事指導者で、ティムール朝の建設者です。
1336年4月9日にシャフリサーブスの近郊で産まれました。
モンゴル部族の血をひく貧しい小貴族の子供だったティムールは、若い頃は仲間たちを率いて家畜の略奪を行う盗賊のようなことをしていましたが、だんだん持ち前の指導力を発揮し出しました。
そしてチャガタイ・ハン国の東西分裂と混乱に乗じ、西チャガタイ・ハン国の有力者となったあとは、ひたすら戦争戦争の日々でした。
この辺りの話は長くて難しいので割愛します。
詳細が知りたい方はWikipediaでも見てみて下さい。

さんざん戦争をしてティムール朝(ティムール帝国)を築いた後、中国遠征の途中で発病し、1405年2月18日にオトラルで病没しました。
この年は大変な寒波に襲われて非常に寒く、体を温めるために酒を飲みすぎて胃腸を壊したのが原因という説があるそうです。
ティムールの遺体はサマルカンドグリ・アミール廟に葬られています。

他にティムールに関するエピソードにはこんなものがあります。

ティムールは情け容赦無い破壊活動を行い、捕虜数万人を処刑して生首で塔を建てたなどの残虐な行為も行ったそうです。
ティムールはトルコ系のイスラム教徒で、文字は読めませんでしたが、トルコ語とペルシャ語の両方がペラペラだったそうです。
ティムールは軍事にかけては天才的で、生涯にほとんど負けたことがなかったそうです。
ティムールは都市の持つ経済的な重要性をよく理解していて、その保護につとめました。
彼が都としたサマルカンドには様々な施設が建設・整備されて繁栄を極め、チンギス・ハーンと比較して『チンギス・ハーンは破壊し、ティムールは建設した』と言われています。

ソ連時代は、ティムールには非情で残虐な指導者というレッテルが貼られていました。
悪者がいた方がソ連政権の正しさを主張しやすかったからでしょう。
それがソ連崩壊後の今ではティムールの評価は180度と変わり、一大帝国を築いて数々の文化遺産を残した英雄として讃えられています。

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