観光(サマルカンド)
グリ・アミール廟
グリ・アミール廟(アミール・ティムール廟、グル・エミール廟、グーリ・アミール廟)はウズベキスタンのサマルカンド旧市街にあります。
グリ・アミールとは、タジク語で『支配者の墓』の意味で、ティムールをはじめとして息子のシャー・ルフ、孫のウルグ・ベクら、ティムールの一族が眠っている霊廟です。
1996年に修復されたばかりで、サマルカンドブルーの丸屋根がひときわ輝く建物です。
元はティムールがトルコ遠征中に死亡した孫のムハンマド・スルタンを葬るために1404年に建設したものですが、ティムール自身も翌年に死亡して、この廟に葬られることになりました。
本当はティムールは生まれ故郷のシャフリサーブスに葬られることを希望して廟も造っていましたが、その希望は叶えられませんでした。
廟内は全て金の装飾で埋め尽くされていて、修復の際には内部の模様を再現するために3kgもの金を使用したそうです。
天井や壁は植物やアラビア文字をモチーフとした模様で埋め尽くされ、その金の使用量はレギスタン広場のティラカリ・マドラサにも匹敵します。
墓石は全部で8つ置かれていて、中央の黒緑色のオニキスで作られた墓石がティムールのものです。
その他の墓石は、ティムールの墓石を中心にして
- 墓の北側
- 教師のミルサイード・スルタン、孫の一人
- 墓の南側
- ウルグ・ベク
- 墓の東側
- ムハンマド・スルタン
- 墓の西側
- シャー・ルフ、息子のミランシャー、孫の一人
のものです。
これらの墓石は位置を示しているだけで、実際の亡骸はここから地下3mの所にある墓室に葬られています。
その地下へは霊廟の裏口から行けるのですが、この時は鍵がかけられていて、中へ入ることはできませんでした。
1941年6月22日、この墓をソ連の学者が開けたところ、ティムールの右手左足が不自由であったことが確認されました。
ティムールの棺の裏には
『私がこの墓から出た時には大きな災いが起こるだろう』
という意味の言葉が書かれており、実際に墓が開けられたほんの数分後にドイツがソ連に攻撃を開始したという、信じられない話があります。
ソ連は戦争には勝利しましたが、これ以後は恐れを抱いて、ティムールの墓の蓋は溶接されて二度と開けられていないそうです。
夜にグリ・アミール廟の見学に行くと、このように幻想的にライトアップされていました。
「どうぞ。」と内部に入れてもらい、写真撮影料を取られることもなく見学することができました。
昼間はかなり混んでいるグリ・アミール廟なので、夜に行った方が落ち着いて見学できるかもしれないです。
なお、グリ・アミール廟はかつて10スム札の絵柄にもなっていました。