ウズベキスタン観光情報 ~ウズベキスタン旅行記とエリアガイド~

ユーラシア大陸の中心『ウズベキスタン』の旅行記&エリアガイドです。
かつてシルクロードの要衝として栄えたウズベキスタンには、
古都サマルカンド、聖なるブハラ、博物館都市ヒヴァなど、今も多くのイスラム建築遺跡が存在します。
当サイトでは、日本ではまだあまり知られていないウズベキスタンを様々な角度から紹介します。

観光(ヒヴァ)

タシュ・ハウリ宮殿

石の庭の意味のタシュ・ハウリ宮殿です

ヒヴァイチャン・カラの東門近くにあるタシュ・ハウリ宮殿です。
タシュ・ハウリとは『石の庭』の意味で、アラクリ・ハーンによって1830年から1838年にクフナ・アルクに匹敵するものとして建てられた宮殿です。
ヒヴァの中でも最も豪華なタイルや柱で飾られているそうです。

宮殿は公務を行なう謁見や儀式の場、宴会やお客を接待する場、アルズ・ハウリと呼ばれる裁判所とハーレムに分かれています。
また、中庭にはユルタという丸テントを建てて、遊牧民族のお客さんたちをもてなしていたそうです。

タシュ・ハウリ宮殿のアイヴァンの天井です

儀式が行なわれたアイヴァンの天井は、クフナ・アルクと同じように木枠黄色のカラフルな幾何学模様が巧みに組み合わされていて、豪華な雰囲気を出しています。
木柱に彫刻が施されているのも、クフナ・アルク同様です。

中庭を囲んで二階がハーレムになっていて、大小163もの部屋があります。
アラクリ・ハーンには4人の正妻と40人の妾がいたそうです。
南側にハーンの執務室、ハーンの母・姉妹の部屋と4人の正妻の部屋があり、入り口に一番近い部屋にハーンが、その隣に正妃、さらに隣にナンバー2の妃…、というように住んでいたそうです。
部屋の作りは4人の妃で差はなかったように思えましたが、狭くて暗い、お世辞にも良い部屋だとは言えないものでした。
一応、イスラムの教義では『4人まで妻を持っても良いが、平等に愛してあげなさい』と言うことになっているそうです。

対して北側の妾の住居はさらに悲惨です。
南側とほぼ同じ面積の建物に、40人が押し込まれていたそうです。
妃でさえあんな狭い部屋だったのに、それよりもはるかに狭いとは…。
日本の刑務所の方がよほど住み心地良さそうです(もちろん入った事ないですが)。

男なら一度は憧れる(?)ハーレムですが、妾にしてみれば牢獄にいるようなものだったのかもしれません。

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