ウズベキスタン観光情報 ~ウズベキスタン旅行記とエリアガイド~

ユーラシア大陸の中心『ウズベキスタン』の旅行記&エリアガイドです。
かつてシルクロードの要衝として栄えたウズベキスタンには、
古都サマルカンド、聖なるブハラ、博物館都市ヒヴァなど、今も多くのイスラム建築遺跡が存在します。
当サイトでは、日本ではまだあまり知られていないウズベキスタンを様々な角度から紹介します。

ウズベキスタン用語

ウルグ・ベク ~非凡な学者王~

ウルグ・ベクはティムールの孫に当たります

ウズベキスタン観光中はティムールに次いでウルグ・ベクの名前をあちこちで聞くことになるでしょう。
ここでは簡単にウルグ・ベクについて紹介してみたいと思います。

ウルグ・ベク(Ulugh Beg)は1394年3月22日にティムールの長子シャー・ルフの子として産まれ、本名はムハンマド・タラガイと言います。
つまりウルグ・ベクはティムールの孫に当たります。
このとき、ティムールは58歳だったそうです。

ティムール帝国の君主として、15歳くらいからサマルカンドを治めたウルグ・ベクですが、統治者としてよりも学者としての業績が大きいです。
天文学、数学、自然科学、音楽、神学、はては歴史家や詩人としても才能を発揮した、とても頭の良い人だったようです。

学者や文化人を保護し、自ら教鞭もとり、多くの建築物を建てましたが、その反面、宗教家からは反発されることが多かったようで、身内の者や部下などにも敵対する者がいたようです。
そして1449年に、イスラム指導者によってそそのかされた息子のアブド・アル・リャチフに謀反を起こされて敗北し、刺客によって首を斬られて死んでしまったそうです。

グリ・アミール廟のウルグ・ベクのお墓を開けると、首には切られた跡があったそうです。
ちなみにウルグ・ベクの息子も、その半年ちょい後にウルグ・ベクを慕っていた者に殺されたそうです。

今回の旅行だけでも、ブハラウルグ・ベク・マドラサ、サマルカンドのウルグ・ベク・マドラサウルグ・ベク天文台跡と、ウルグ・ベク由来の地を回りました。
個人的には、ティムールは『大暴れしていた我侭な王様』というイメージですが、ウルグ・ベクは『インテリなヒゲのお爺さん』という印象です。

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