ウズベキスタン観光情報 ~ウズベキスタン旅行記とエリアガイド~

ユーラシア大陸の中心『ウズベキスタン』の旅行記&エリアガイドです。
かつてシルクロードの要衝として栄えたウズベキスタンには、
古都サマルカンド、聖なるブハラ、博物館都市ヒヴァなど、今も多くのイスラム建築遺跡が存在します。
当サイトでは、日本ではまだあまり知られていないウズベキスタンを様々な角度から紹介します。

観光(サマルカンド)

ビビハニム・モスク

中央アジア最大のモスクであるビビハニム・モスです

サマルカンドにある、サッカー場がすっぽり入ってしまうほど大きい、中央アジア最大のモスク、ビビハニム・モスク(ビービーハヌム・モスク)です。
敷地面積は167×109メートルもあります。
始めはサマルカンド金曜モスクと呼ばれていましたが、市民によってビビハニム・モスクと名づけられたそうです。
なおビビハニムとは『第一婦人』という意味です。

ビビハニム・モスクはティムールによって建設されました

1399年にインド外征から帰ったティムールによって建設が始められ、国中から200人の職人や500人以上の労働者を集めて作業が進められました。
重たい材料物を運ぶため、インドから95頭のゾウも連れて来られたそうです。
そして完成したのは1404年という、超スピード建設でした。

ビビハニム・モスクは廃墟と化しています

しかし、その突貫工事が祟ってか、はたまたあまりの巨大さのためか、ビビハニム・モスクは年月を追うごとにボロボロと崩れてきてしまいました。
お祈り中に崩れたレンガが頭に落ちてきた信者もいたそうです。
危険のためビビハニム・モスクで礼拝をする物もいなくなり、さらに寂れて行ってしまいました。
そして19世紀末にあった地震でミナレットも折れ、ついには廃墟と化してしまいました。
ソ連の崩壊後、現在はユネスコの協力を得て修復作業が進められ、鮮やかな青いドームなどは見事に復元されています。

ビビハニム・モスクの青い屋根は修復されました

ビビハニム・モスクにはこんな言い伝えがあります。

ティムールの妃は、インドから凱旋帰国するティムールを驚かそうと、超巨大なモスクを建て始めました。
しかし、急いで作らないとティムールの帰国までには完成しなそうな雰囲気でした。
そんな弱みにつけ込んだ建築家が『キスしてくれないと働いてあげません!』とダダをこね始めました。
妃は困りましたが、建築家がちょっといい男だったこともあって、頬にキスする事を許してしまいました。
するとキスの後がアザとなって残り、消えなくなってしまいました!
そこへ遠征から帰って来たティムールは、とっても素晴らしいモスクの出来栄えに大喜びしました。
妃にお礼を言おうとしたティムールでしたが、彼女の顔の頬にキスマークがあるのを見て大激怒!
建築家は死刑、妃もミナレットから突き落とされてしまいました…。

言い伝えには色々異説もあり、妃は殺されずに一生黒いベールで顔を隠すだけで済んだとか、建築家は神通力で飛んで逃げたとか…。

ビビハニム・モスクには巨大なコーラン書見台があります

ビビハニム・モスクの中庭中央には説教台があり、そこには巨大な大理石のラウヒ(コーラン書見台)が置かれています。
どんな大きさのコーランを置いたのかと思ったら、オスマン・クラーンという世界最古のコーランだそうです。
オスマン・クラーンはタシケントハシュト・イマーム・モスクで見る事ができます。
ちなみに『この書見台の周囲を願い事をしながら三周回るとその願いがかなう』と言われているそうです。

ビビハニム・モスクの正面にはビビハニム廟があります

ビビハニム・モスクの正面にはビビハニム廟という建物もありました。
建設時期はビビハニム・モスクとほぼ同時期だそうです。
詳細はわかりませんでしたが、廟ということはティムールの妃の誰かが葬られているんでしょうか?

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